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元来、魚津という土地は知的生産の盛んな土地柄であり、その代表として「魚津の三太郎博士」が挙げられます。現在の魚津にも高い技術力をもつ中小企業が存在します。このブログは、それを広く感じてもらうために開設しました。

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川原田政太郎博士と親交のあった浜多弘之氏にお話を伺いました。

川原田政太郎博士と親交のあった浜多弘之氏にお話を伺いました。


IMG_0041.jpg 

  浜多氏が早稲田大学に入学された昭和28年から昭和58年に博士が亡くなるまでの30年間の付き合いであったそうです。個人的な付き合いならではの、いろいろな楽しいエピソードをお聞きしましたが、その中でも特にお酒が好きであったことが印象的でした。魚津を訪れた際には魚津の魚(肴)で杯を重ねておられたそうです。

 

博士は即興の詩が得意で、浜多氏が市議会議員に当選した際には、

れて議会に出たからは っすぐ進め正の道 まって働け人のため」

の詩を贈られたそうです。
IMG_0042.jpg


  そのほかにも博士の詠まれた詩が多く残されており、本江小学校には、

んでくれたるわたしの魚津 んは絶対わすれない うまになった今日までも」

と詠まれた詩が残されており、魚津に対する愛情が感じられます。 
20100615本江小4 
(注・・・本江地内には、この石碑も残されています。)

 

魚津にはたくさんの“書”や“装置”などが残されています。

20100615本江小1               20100615本江小3 
      本江小学校 「おやこんなところに芽がふいている    本江小学校 「自主創造」

おやこの子にこんな力がある」

 

20100615天神公1 
    天神公民館 「創意工夫」


20100615本江公7       20100615本江公4 
   本江公民館 「光時計」              本江公民館 「電気時計」

 

また、博士は、見るからに悪くなっている魚津のかまぼこを焼いて食べても、不思議と具合が悪くならないなど、おもしろいエピソードもお聞きしました。「魚津のもの(産物)は腐らない」と常に話しておられたそうです。それは魚津の水に育まれた産物の不思議な力ではないかとも推測しつつ、博士は郷土を非常に愛しておられたことがわかりました。

 

また、浜多氏曰く、魚津中学(現魚津高校)は“ものづくり”の学校であったと。その出身者には、三太郎博士のほかにも各分野で活躍された偉人がいらっしゃいました。

 

このような偉人を誇りに感じ、現代の“三太郎博士”とも言うべき皆さん(個人や企業)を、このブログを通じて知っていただくことで、より身近に“うおづ”を感じてもらえればと考えています。

 

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富山県魚津市の企業・産業を知ってもらいたいと感じている市職員グループです。

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